御祭神
主祭神
菅原道真公 (※紅梅天神・生松天神も合せ祀るとの資料もある)
由緒
社伝に曰く「後一条天皇寛仁3年(1019)賊徒(南蛮:刀伊)の海賊入寇し、若き男女を犯し且つ金穀を奪取す。因って当神社を勧請しその他遺産を祈願し、たずの弓矢を奉納す。今に12月15日白羽の矢を宮座当番より各3組を作り奉納す。これその前例に因るものなり」とある。
往古は浦(久家地区)の南の海岸沿いに鎮座したが、江戸後期文政6年(1823)現在地へ遷座される。
神宝に石玉ありといわれており、御神体を納めた箱の蓋に「享保壬子17年(1732)2月8日八大竜王磯取揚」との書があり、龍王宮(現・綿積神社)前の磯から取上げ、納められたことがわかる。この御神体(神宝)のことは夙に世に知られ、江戸時代後期の福岡藩の著名な国学者・青柳種信の『筑前国風土記拾遺』にも「色浅青にして形西瓜の如し。水に浸せば、光沢有りて鑑むべし」との記載がある。(一説には漁夫が平戸の海中に光るものを見つけ、珍しきものなりとて持ち帰ったものともいう。 ※『同付録』福岡藩士・加藤一純著)
神社名は「生松」と「老松」を交互によく変わっており、老松神社の扁額も幣殿に掲げてある。
生松天神社→老松天神社→老松神社→生松天神社→老松神社→生松天神社(現在)。変遷の理由は不明。
※年代表記 : 旧暦(新暦)